今日26日は、私のサイクリング二大年間イベントの一つ、第12回サイクルマラソン阿蘇望の日でした。朝4時前自宅を出発、仲間とともに熊本へ。しかし、出発直後から雨。九州自動車道を走る頃には土砂降り状態で、遂に出場を断念し8時には帰宅。朝っぱらからビールを飲んでふて寝を決め込みました。日本一周で鍛えた脚力発揮!と意気込んでいただけに最悪の日曜日となりました。
連日の雨、福岡近郊の皆様には、大雨の被害などありませんでしたでしょうか?そろそろ梅雨明け、と願いたいものですね。
さて日本一周サイクリング。
新潟は長岡市の河井継之助記念館での感動の余韻が未だに残っています。帰宅早々に始めたことの一つが、司馬遼太郎の小説『峠』の三度目の通読です。前回の通読から二十年程の時が経つが、どのような印象を受けるでしょう?
司馬遼太郎の作品との出会いは、吉田松陰と高杉晋作を扱った『世に棲む日日』が最初だった。歴史小説の面白さ、幕末から維新にかけての青春群像に魅せられ、『坂の上の雲』『竜馬がゆく』等々、次々に読みあさった。特に読書好きという訳ではなかったが、大学卒業前後から会社勤めの三年間ほどは、暇を惜しんで読書をした。中学・高校時代に読書の醍醐味に目覚めていれば、と思ったものである。旅にしろ読書にしろ、心の熱いうちに経験したいものである。様々な経験を通して物事の見方・考え方が鍛えられ、その後の人生に大きな影響を及ぼすに違いない。
話は変わるが、我が家の墓前に立つとき、私は淡々と手を合わせ祈りを捧げる。自分を見守ってくれるようにと、特に今は亡き父に、いろいろな思いを静かに語りかける。そんな自分が、二十代半ばだったろうか、高杉晋作の墓前に立ったとき目頭が熱くなり、感情が高まるのを禁じ得なかった。心密かに、わが父に申し訳ないような気持ちを覚えたものである。
日頃、『自分が』『自分こそが』の気持ちばかりが先に立っているようである。自分一人でこの世を生きている気になっているようだ。そんな自分が、高杉晋作の墓前で、そして今回、河井継之助記念館で胸を熱くした。高知でもそうだった。険しい坂道を走りながら、いま現に走っているこの道を、回転の志を抱いた竜馬も踏みしめ歩いたのかもしれない。そう考えると何とも不思議な感動を覚えた。
『自分が』『自分こそが』と生きる前に、今に繋がる長い歴史の中の先人たちの思いや生き様を知り、受け継ぐ必要があるのではないだろうか。先人たちの歩みに思いを致すことにより、『今』に感謝し、『今』をよりよく生きることができる気がする。自分が占める位置を確認し、味わいある人生を送れるような気がする。
歴史を知り、先人の生き方を知ることの大切さをしみじみと感じた旅でした。その理解の有る無しで、旅から得るものも左右されるだろうし、社会への帰属意識も変わるのではないでしょうか。
最近、書店に行くことが少ないのですが、『郷土コーナー』は設けてあるのでしょうか?私達はもちろん、特に次代を担う世代に、郷土の歴史や、郷土を築いた先人たちの思いに触れるきっかけを与える場として、是非そのようなコーナーを設けてほしいものです。
これからは、時には書店巡りも悪くないかな?