四日市、岡崎を始め、大都市周辺の国道沿いの大気の汚れ、異臭には驚いた。何度かマスクを買おうとしたほどであった。新型インフルエンザ騒ぎが始まった頃で、結局手に入らなかったが、それほどに状況はひどかった。目や喉に痛みを覚え、気分が悪くなった。晴天なのに周囲の山がかすんで見える。こんな環境で暮らすのはご免である。九州の住民であることをありがたく思ったものである。住民から改善を求める運動など起こっていないのだろうか。慣らされて大気の汚染に鈍感になっているのだろうか。
『都会』という言葉に感じるモダンな響きが消し飛んでしまった。都会の快適さを享受するためには、環境や健康に対して鈍感にならなければならないのかもしれない。
東北や北海道では、時として澄んだ空気が目に染みるほどであった。『田舎』や『地方』という言葉にこそ人間らしさがある。
しかし、その北海道を走っていて強烈な臭気に襲われたことが何度かあった。産業廃棄物か何かの集積場であろう。息を殺すようにして通り過ぎた。豊かな自然に恵まれた北海道も、開発や産業化の波にさらされつつあるのだろうか。
日本だけでなく、世界各地での環境破壊の実態が報じられるが、その対策への具体的な動きは鈍いようだ。問題にされるのは常に『経済発展』である。
世界中の人間が、さらなる豊かさ・快適さを追い求め競い合うとき、いったいこの世界には何が残されるのであろう。世界中の国が等しく経済発展を遂げ、物質的な豊かさを手に入れるとき、そこにはやはり豊かな自然が残されているのだろうか。
自然に恵まれた地方で、突然場違いなほどに整備された道路や建造物に出会うことがあった。そこで見たのは厳重な警備体制の中にある近寄りがたい原発関連施設であった。原発が完全に安全なものなら、都会のど真ん中で見かけてもおかしくない筈だが、これといった産業のない地方に集中している気がする。命と引き換えの立派な道路・施設でないことを願うばかりである。
世界遺産に登録された高野山を訪ねた。標高1000メートルほどの山にある。厳かな佇まいに神聖なるもの、歴史・伝統の重みを感じたものである。しかし、そこへ通じる道路では整備拡張工事が進行していた。何のための世界遺産登録であろう。観光産業を振興するためだろうか。バスを連ねて観光客が押し寄せる観光名所に成り下がるのだろうか。不便さや労苦を厭わずに、連綿と受け継がれてきた文化に思いをいたしながら訪れる。高野山にはそんな場所であり続けてほしいと思う。
何もかもが経済優先。物質的豊かさと快適性だけを追求する社会に夢を託すことはできない。自然と人間のあり方を問い直さなければならない。そんなことを考えさせられた旅だった。
日本一周回想記は、今回をもって終わりとします。長々と引きずりすぎたようです。今後は、私の日頃の生活ぶりや色々な思いをレポートしたいと思います。当然サイクリングに関するものが多くなるでしょうが。今回添付の写真は、11,12日の連休にサイクリング仲間と走ったしまなみ海道、来島海峡大橋のベストショットです。これについては、後日またレポートしたいと思います。